古きよき沖縄を感じる島 座間味村

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キャラクター紹介

座間味村(沖縄離島)は、沖縄本島那覇から南西へ約40kmの洋上に浮かぶ大小20余の島々からなる離島村です。透明度の高いサンゴ礁の海は、沖縄でも有数のダイビングのメッカです。また、座間味村(沖縄離島)周辺の海域では、ホエールウォッチングが盛んで1月から3月のシーズン中は巨大なザトウクジラのブリーチング、テールスラップなどを見ることが出来ます。

座間味村について、ざまみガイド

座間味村の概要

座間味村の概要についてのリード文

座間味村は、沖縄本島那覇から南西へ約40kmの洋上に浮かぶ大小20余の島々からなる離島村であり、北緯26度10分~26度14分40秒と東経127度14分31秒の範囲にあって、東に渡嘉敷村、北西に渡名喜村、粟国村、久米島を望むことができます。 面積は16.87km2で、全島の地形は平坦地が少なくほとんどが山林地域となっています。各島の北側の海岸は切りたった断崖から成り、南側の砂浜はそれぞれが珊瑚礁にふちどられ、世界屈指の透明度とサンゴ礁を誇る海へとつながり、絶妙のコントラストを見せています。

高月山からの座間味集落写真

座間味村の歴史

座間味村の歴史についてのリード文
■唐船貿易の中継地

晴れた日には、那覇空港から西の海上にくっきりと大きく望める慶良間の島々。古来那覇の人々から、手前に見える渡嘉敷村一帯は「前慶良間」、広報の座間味の島々は「後慶良間」と呼ばれてきました。慶良間は1264年英祖王の時代に久米島、伊平屋とともに首里に入貢。1372年に察度王が明国と朝貢関係を結び進貢船の行き来が始まって以来、座間味の島々は首里と福州を結ぶ中継港の一つとして、船乗りを多く輩出しました。何名かは船頭職までつとめ、今も残る屋敷跡が当時の船頭の地位と豊かさを伝えています。

座間味村阿佐区の船頭殿(シンドゥルン)
■鰹漁業創業の村

1901年、初代座間味村長松田和三郎によって沖縄県ではじめての鰹漁業が創始され、鰹漁は全県的な産業に成長してゆきます。明治後期から大正にかけて島の男性のほとんどが鰹漁業に、女性は鰹節製造に携わりました。1970年代、要員不足などの事情で鰹漁業は中断しましたが、今なお「慶良間節」は鰹節の良品の代名詞として語り継がれ若手生産者によって復活が試みられています。

鰹漁業創始功労の碑
■銅鉱の村

天然記念物ケラマジカが住む屋嘉比島と久場島は現在無人島ですが、かつては銅が採掘され、多くの人で賑わった時代がありました。沖縄戦直前には大規模な採掘が行われ両島合わせた人口は2000人を超えたと言われています。

銅鉱の島だった久場島
■米軍上陸と「集団自決」

1945年3月、米軍は沖縄本島上陸に先立ち慶良間諸島を攻撃。3月23日から3日間にわたって空襲と艦砲射撃を受けた島々は原型を失うほど傷つきました。そして26日、阿嘉島を皮切りに座間味村は、沖縄戦で最初の米軍上陸の地となったのです。 高月山の登リ口に立てられた「平和の塔」には、402名といわれる集団自決の犠牲者をはじめ軍民合わせて1220柱の御霊を、平和の守り神として合祀してあります。

平和の塔
■観光立村へ

1978年、座間味村全域は沖縄海岸国定公園に指定されました。内海の美しい眺めと類まれな海中景観を求めて、全国から観光客やダイバーが集うようになりました。代々受け継がれてきた美しい海と、海に生きる知恵を、私達は次の世代に手渡さなくてはなりません。

座間味村の海

座間味村の取り組み

座間味村の取り組みについてのリード文

島々に抱かれた珊瑚礁の内海は抜群の透明度を誇り、色鮮やかな熱帯魚の群舞がダイバーや海水浴客を夢中にさせます。 毎年夏の満月の夜には神秘的なサンゴの産卵が見られます。これらの卵が潮に乗って沖縄本島にまで流れ着き、本島周辺の珊瑚礁をかたち造るとされています。 座間味村全域と周辺海域は一九七八年に国定公園に指定されましたが、海中の景観が特に優れ学術的にも貴重な区域として「沖縄海岸海中公園地区」に位置づけられています。 この貴重な自然環境をいつまでも残していくために、座間味村ではルールを設けて様々な取り組みを行っております。

座間味村海中風景海亀の写真

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